作品詳細

鳥のように イルカのように

鳥のように イルカのように

井上舍密

「詩と音楽に一生浸っていたい」詩人の魂

小説『パートナーズ』(文芸社)を遺してこの世を去った著者のもう一つの遺作。
詩人・井上舍密の足跡がここに在る。
本に埋もれた日々の中で「存在と時間」を謳歌したに違いない。



(ソネより)
かたつむり


蝶のように舞い落ちてくる
夏の初めの気紛れな病葉(わくらば)
余すところなく黄ばんで
果敢(はか)ないまでに透き通っている

木の葉のように舞い落ちてくる
或る朝蛹から俄かに跳躍した蝶
急ぎ少女から女に変身するように
マリアもマグダラのマリアも
目には目を
ハンマーには金床(かなどこ)を
唇に歌を
揺るがぬ平和を

蝶にも木の葉にもなって今はただ
舞え舞えかたつむり



(バラードより)
聖少女


ふんふんふんふんふん

どこからか流れてくるきな臭さに
気付いたわたしはまるで動きの自由を
奪われでもしたように前のめりに
いつか脚を踏み出していた

必ずしも生易しい臭いとは言えない
微かでも或る種の劇しさを伴って
どこまでも鼻孔を刺激してくる
炎天下やや翳りを帯びてきているが
蚊遣(かや)りなどの小規模な焚き火にはまだ早い

多くの成分の混じり合う臭気は
風の吹き方からするとどうやら
川の気流に乗って上手方向から
搬ばれてくるものと推定される

現在のわたしは猟犬同様
何か見えないものに駆り立てられながら
流れの来(こ) し方を見極めようとしている
またそう思わせずにおかないこの異臭

他方猟犬でないわたしは
見当をつけてゆっくり進むしか方法がない
足許は酷暑で焼け焦げた雑草で埋め尽くされ
川沿いの大小の樹木は僅かな隙間もなく
どこまでも続いているように見受けられる

圧倒されるばかりに奔放な熱帯樹林の
どこかにあるはずの入り口を求めて
誰かに言われたわけでもないのに
わたしは何かと気を急(せ) かせていた
ただの獣(けもの)道より少しはましという程度の
開口部がやっと目の前に現れてきた
同時にそれは一気に強まった悪臭の
行き交う通路でもあるらしい

脚を踏み入れたその内部は
外光に乏しくまるで冥界さながら
迷路のように複雑な枝葉のトンネルを
精根の限り潜り抜けようと試みる

そこをどうにか脱出すると今度は目の前に
背丈の倍近くになって立ち塞がる
(以下12頁分 省略)

詩集
2023/07/07発行
四六判 並製 カバー

1,650円(税込)