作品詳細

ライトゲージ

ライトゲージ

うるし山千尋

「書かないこと」を積極的に選択する

ゆったりとした目線の先に何かを見ようとしても、うるし山千尋が描く世界は現実と記憶と夢想の空気で私たちを包んでしまう。
著者は「書かないこと」を積極的に選択する、と暁方ミセイは言う。
うるし山千尋の「ライトゲージ」は音を出さない楽器のように、空気を震わせ、記憶を震わせ、時を震わせてゆく。



神様の余分

だいたい
右だよう
迷ったときは
だいたい右だよう
と あたまのなかの
神様の声がする

神様は幼い時分から
いつも右のあたまのなかにいて
そのときどきで
適当に
道を教えてくれる

パチスロ屋のかどを
右へ曲がる
そこにもまた
あたまのなかの
まとまりの薄い神様がいる
まとまりの薄い神様はたいてい
体によくない煙を吸っている
足元に相を違えた
余分な影を
二つ三つ揺らしていて

今日もほどけていますねえ
わたしが話しかけると
ほどけているよう
と 神様は言う
もうほとんど輪郭はないけれど
波紋のようなものすごい笑顔で
ほどけているよう
ほどけているよう

二度三度言う
そのときわたしは
いつかほんとうにあたまのなかの神様が
ほどけてしまう日のことを思う

タトゥーのような
蘇鉄の影
欄間からもれる
ふくざつな光
潮のにおい
わたしも神様も
おそらくその日はもう
ひとつの人称のなかにいて
いちばん最後にほどけそうな
くるぶしのあたりを
そっと眺めている



開頭

病院で
頭を開けてから
死んだ祖父がよくみえる
写真もみたことないけれど
父ですらみたことないのだけど
向こうから手を振ってくるのだから
あれはきっと祖父なのだろう
まっ白い病院の
歳をとらない
ひとなのだろう

祖父なのだから
祖父はむかし大陸で
戦争をしながら
しかし病気で死んだので
青白い髭を生やして
元気がないけれど
それがはっきりとみえるのは
わたしが頭を半分くらい
開けたからだ

手術から数日たって
左の耳の聞こえが気になる
いつもの准教授にそう言うと
准教授はまだ若いのに
朝の真面目な陽射しのなかにいて
接続の原理がなんたらという
夢のような話をされたあと
病院を去っていかれた

戦争と病気の詩は書けない
という詩を書いてから
もう七年経つ
埃や灰が入ってこないように
窓を閉めようと体を起こしたら
塀のうえで猫の目が虫を追う

無作為のにおい
七十億が去ったあとの
花火の端っこが消えるにおい

詩集
2021/12/28発行
四六判 上製 カバー 帯 栞付

栞文:暁方ミセイ

2,530円(税込)