七月堂通信

2013年11月の記事

七月堂動物記3

ノラ猫のシロちゃんが死にました。事務所の前の道で大往生。横切ろうとして力尽きたようです。その日の夕方、事務所の中を何をするでもなくウロウロして出て行きました。背中はまさに背骨に皮が乗っかっている、という状態。そっと撫でると不愉快そうに手の下をするりと抜ける。いつものことです。
「来週会えるかな?」とシロちゃんのご飯係が呟いていました。
彼女はシロちゃんを膝に乗せて仕事をします。問題は、膝に乗せているので動こうとしないことです。何かを渡す時、彼女が何かを欲しい時、誰かが彼女の元へ出向かなければなりません。シロちゃんは王様でした。

初めて出会った頃のシロちゃんはお腹が地面に着きそうなぐらい太っていました。足が長いのでかろうじて地面をこすらずに済んでいたようです。口の周りにやや薄汚れた敷石風の模様があり、山賊のような顔立ちでした。
きりっと上がった精悍な目。ゆったりした足さばき。玄関前に座っている姿はまさに七月堂の守護神のような佇まい。
「飼っているのですか?」
「いいえ、ノラです。七月堂では餌をやっていません」
と周りに聞こえるように大きな声で言ったものです。
近所に猫嫌いな人がいて七月堂のポストに「猫に餌をやらないで下さい」と張り紙をされたことがあったからです。

シロちゃんには三毛で美猫の連れ合いがいました。ご飯係の彼女が「ミャーさん」と名前を付けました。連れ立って一筋向こうのカトリック教会への道を歩いてゆくのを見たことがあります。七月堂の前で餌を待っている時やご飯が終わった後、お互いに寄り添い毛並みを整えているかのように舐め合っていました。
七月堂のシャッターが開けられる時、何処からともなくやってきます。朝ごはんをもらうためです。晩ごはんは宅配の集荷が終わった頃、何処からともなく二匹が出てきます。

七月堂に最初に来たのはミャーさん。2008年頃でした。絶対に触らせません。そのうち何時とはなしにシロちゃんがやって来ました。シロちゃんは飼われていたことがあるのか、触っても逃げませんでした。七月堂の前に座っているシロちゃんは、登校下校の女子高校生たちのアイドルでした。携帯でシャッターを切る音とともに「きゃー、こっち向いた!」と黄色い声が聞こえたものです。
会社帰りの女性にもファンがいて、シロちゃんの横に座って話しかけていました。アベックもよくシロちゃんの傍で座り込んでいました。シロちゃんを話題にしながらアパートの階段に座ってイチャイチャという有様です。夜、シロちゃんがまったりしている場所は、ちょうど人目を避けたアパートの階段脇にある自転車置き場だったからです。

シロちゃんには餌場がいくつあったかわかりません。七月堂の付近を車で通るとき、思わぬ家の玄関から出てくるのを見かけました。
七月堂の近くに「山猫」という喫茶店があります。ここもシロちゃんの餌場だったようです。出入りしているおばあさん達によると、シロちゃんのために常にドアを開けていたそうです。
「よりみち」という呑み屋さんでは、常連客が注文したものをシロちゃん用に残してくれたそうです。刺身とか・・・・・・。おかみさんは暖簾をしまったあと、七月堂のシャッターの前にそれらのご馳走を置いてゆくのです。
クロネコのお兄さんの中には「シロちゃん、日本学園の裏にいたよ」という情報を挨拶替わりにしていた人もいました。

シロちゃんは喧嘩の強い猫でした。ミャーさんを狙って来る茶トラの首輪猫も追い払われました。茶トラの首輪猫は、体も大きくかなり大胆に七月堂の事務所を偵察していました。もちろんシロちゃんがいない時を見計らってです。
ある時、いつものようにゆったり歩いてくるシロちゃんの頬はざっくり割れ、肉が見えていたことがありました。目をやられていたら・・・・・・。でも、相手の猫がどれほどやられたかは想像するのもおぞましい話です。シロちゃんの爪は切ってやりたいほど長く、鋭いものでした。
喧嘩をする時は相手の様子を見ながら、頭を低くして唸ります。唸り声は徐々に大きくなり最高潮で「ギャオー」となります。ここで相手は逃げてゆくのです。
ネズミもよく捕まえていました。ネズミの尻尾が二本、自転車置き場にあったり、食べかけの鼠があったりしました。管理人さんもネズミ退治をするのですが、猫いらずを置くだけでなく素手でネズミを殺したりもします。七月堂の前の側溝の上に子鼠が頭を揃えて綺麗に並べられていたことがあります。並べられた子鼠たちの死体を見た時、シロちゃんの仕業かと思ったのですが、階段を下りてきた管理人さんが「今日はこれだけだったよ」と子鼠を見下ろし、犯人が判明した次第です。鼠を退治した事を誇らしく思ってのお披露目だったのでしょうか!

余談ですが、もう45年以上前の話です。自宅で猫を三匹飼っていました。正確には二匹です。一匹の猫の嫁さんが全くのノラで、一緒には行動していましたが、家の中には全く入りませんでした。連れ合いのいた猫は白黒のぶちで紋次郎という名前でした。もう一匹は尻尾の長い真っ黒な小柄なメス猫。この黒猫は香水のような良い香りをしていました。小田急線豪徳寺駅のおしるこ屋さんの植え込みの中で鳴いていました。捨て猫です。思わず抱いて家に帰ったのですが、紋次郎は鼻にシワを寄せ、とても嫌そうな顔をして部屋から出ていってしまいました。
紋次郎は親戚の家の近くで生まれた、ノラの子供の一匹でした。生後六ヶ月ぐらいで所沢から世田谷にやって来ました。連れてきた当初は三日間冷蔵庫の裏から出てきませんでした。ごはんを一度食べてからはすっかりうちの猫として振舞っていました。我が家に来てから一ヶ月も経たない頃、自分とそっくりな模様の子猫を咥えて来ました。そして階段に置きのしかかる動作をするのです。子猫は生後一ヶ月くらいのまさに子猫です。紋次郎を叱りすぐに子猫から引き離しました。
子猫は外に出したのですが、一ヶ月もしない頃、紋次郎の後を歩いている姿を見ました。そのまま二匹は連れ合いになったようです。一年経っても紋次郎の連れ合いはあまり大きくならなかったので「チビ」と呼ぶことにしました。
ある日、猫嫌いのお隣の奥さんが血相を変えて怒鳴り込んできました。
「お宅の猫の子供がウチの物置に住んでいます。すぐ引き取ってください」
「うちの紋次郎はオスですから子供は産みません」
「その紋次郎の奥さんが産んだんです」
「紋次郎は猫ですから奥さんはいません」
「いつも一緒に歩いている猫は奥さんですよ。子猫はお宅の猫と同じ模様です」
確かに紋次郎とチビはよく一緒に歩いていたのです。お隣の奥さんは二匹が自分の庭でくつろいでいるのをいつも見ていたようです。紋次郎は茶の間のテレビの上にも乗って奥さんを見下ろしていたそうです。怖くて追っ払えなかったと言っていました。
急遽、下駄箱を縁先にしつらえ猫小屋を作りました。ミャーミャー鳴いている子猫を四匹その中に入れました。朝、小屋をみるとチビが子猫におっぱいを吸わせています。
子猫が大きくなり、うちには猫が七匹いることになりました。子猫が母親ぐらいに大きくなった頃、紋次郎とチビと子猫四匹が連なって、今は駐車場になっている黛ジュン(歌手)の草ぼうぼうの空き地を横切って行くのを見ました。紋次郎達の姿を見たのはそれが最後でした。
一匹残った黒猫のクロは人懐っこさもあって誘拐されてしまいました。

亡くなる一年ほど前からシロちゃんの咳は、喉が飛び出るのではないかと思えるくらい嗄れて振り絞るような咳でした。誰もが仕事の手を止めて、大丈夫かな、と心配したものです。まるでどっかのご隠居さんの咳のようでもあり、苦笑いです。

ミャーさんは時間になると、いつものようにご飯を食べにやって来ます。撫でようとすると人の顔を見上げながら体を避けます。いつものように、です。


No.0013 2013年11月26日 C

新刊『からだの夕暮れ』が完成!

 めっきり冷え込むようになってきました。十一月がこんな様子で、これからの冬本番はどうなってしまうのでしょうか。七月堂は事務所も工場(こうば)も一階なのでじわじわと冷えてきます。モコモコしたブーツと某有名ファスト・ファッションの股引が必需品な今日この頃です。
 さて、大変長らくお待たせしてしまった新刊『からだの夕暮れ』がついに完成しました。著者の島田さんは昔から七月堂をご存知だったようですが、今回の詩集制作の直接のご縁は七月堂のツイッターだったと思います。まだ猫のシロが存命の頃、何かにつけてシロを気にかけてくださっていた島田さん。人柄がにじみ出る詩のイメージを大切に、詩集を作らせていただきました。多くの方に気に入っていただければ嬉しいです。

No.0012 2013年11月22日 O